【学会員紹介#10】 Moi Meng Ling(東京大学大学院医学系研究科 国際保健学専攻 国際生物医科学講座・発達医科学 教授)

研究と教育の両立

小林:
現在、どのようなお仕事をされているのか教えてください。

Moi:
私の専門分野は、分子ウイルス学、感染症学、ワクチン科学です。今は大学院の教授として、優秀な学生を育てることが重要な仕事だと考えています。研究は、蚊が媒介するデング熱やジカ熱といった感染症のフィールド調査、流行動態の解明、そして重症化のメカニズム解明や、関連するワクチン・抗体医薬品の開発に取り組んでいます。

小林:
大学院の教授として、学生指導で特に大切にしていることは何でしょうか。

Moi:
学生の皆さんは私のもとで学び、成長したいという志で入学していますので、教員として有難いと思っています。私の研究指導の理念は、学生が研究者として旅立つために、「研究論文を自分で執筆できるようになること」を大切にしています。主執筆者の研究論文が研究者を評価する基準となりますので、当たり前の事を、当たり前にできるようになる事を、厳しくも丁寧に自力で筆頭執筆できるように指導しています。また、社会に出て活躍するためには、「人間性の成長」も必要なスキルであるとも指導しています。実験の指導では、個々の能力を見極め、適したテーマを一緒に考え、専門的なノウハウを高めることなどを大切にしています。

小林:
異なるバックグラウンドを持つ学生をまとめるのは大変そうですね。

Moi:
当研究室には、外国籍を持つ留学生が多数在籍しており、皆それぞれの国での教育を受けて育ち、異なるバックグラウンドを持っています。こうしたバックグラウンドを尊重しつつ、研究室全体のビジョンを共有し、学生全員が研究者として同じ方向へ進めるような課題意識を持って指導しています。入学して最初の全体ミーティングで「研究は一人で完結できない」ことを伝えます。その後、必然的に皆が尊重し助け合いながら、同じ方向に向かって進んでいこうという気持ちになり、一体感が生まれていると感じています。当研究室が誇れる一つと思っています。

2025年4月のMoi先生の教室の集合写真、上段左から6番目がMoi先生

デング熱発症が人生を変えた

小林:
先生はなぜ熱帯医学の道に進まれたのでしょうか。

Moi:
マレーシアの大学在学中に、私がデング熱を発症したのがきっかけです。デング熱は蚊が媒介するウイルス性感染症で、東南アジアでは毎年多くの死者を出しています。現在においても有効な治療薬などが開発されていません。そこで、自分に何かできることはないかと考え、在マレーシア日本国大使館の推薦を得て、文部科学省国費外国人留学生制度に合格して筑波大学へ留学できたことが、私の熱帯医学研究者としての大きな転換点となりました。この道に進むことを決意しました。

小林:
研究の一環としてフィールド調査もされていると伺いました。具体的にはどんなことをしているのですか。

Moi:
当研究室では、アジア各国で蚊媒介性ウイルス感染症の流行実態調査等をおこなっています。主にデング熱やジカ熱を対象とし、その伝播様式やヒトの免疫応答を明らかにすることを目指しています。これらの調査は、感染症の拡大を抑制するための公衆衛生上の対策に不可欠です。もう一つの研究は、感染後の液性免疫と細胞性免疫の解析です。デングウイルスは血清型が複数存在するため、再感染時に以前の防御免疫が機能しない場合があります。この現象のメカニズム解明のため、私は「抗体依存性感染増強(ADE)試験」*を用いて、中和抗体の機能を詳細に解析しています。このADE試験法は、私が国立感染症研究所時代に独自に開発したものであり、現在も国立健康危機管理機構(旧 国立感染症研究所)、長崎大学熱帯医学研究所、ベトナム、マレーシアなどの主要な研究機関で、ワクチン開発などに活用されています。また、患者さんのウイルス血症(体内のウイルス量)を測定し、それが臨床症状の重症度とどのように関連するのかについても解析を進めています。これらの研究全体を通じて、デング熱の発症メカニズムを深く理解し、より効果的な治療法やワクチンの開発に貢献していきたいと考えています。

*ADE試験:ウイルスの感染をかえって強めてしまう抗体がないかを調べ、安全性を確認する試験

小林:
フィールド調査で大変だったことや、難しさを感じたエピソードはありますか?

Moi:
フィールド調査で難しさを感じるのは、単に検体を集めるだけでなく、現地の人々との信頼関係を築くことです。

研究成果を出すことはもちろん重要ですが、私たちはモノではなく、人とのつながりを大切に考えています。特に海外でのフィールドワークでは、現地の医療従事者や研究チームとの協力が不可欠であり、双方にとって有益な関係(Win-Winの関係)を構築することが極めて重要です。しかし、これは一朝一夕でできることではありません。現地医療の発展も優先し、研究成果を必ず現地に還元するという目標を、長い年月をかけて実践し、医療貢献という明確な成果を残すことが信頼関係を築くために重要です。このつながりの継続性を維持することが、最も難しく、かつ重要な課題だと感じています。予算やリソースの確保といった現実的な課題もありますが、人との関係という土台なくしては、研究の継続や最終目標である医療貢献も達成が困難と考えています。だからこそ、人とひととのつながりを大事にし、日々の研究を実践し、フィールド現地に貢献できる成果を残すことが、私自身の力となり、また大きな使命として考えています。

小林:
マレーシアから日本に来て約20年となりますが、先生にとっては異国の地である日本で研究を続けていることには何か理由があるのでしょうか。

Moi:
研究成果を出し続けることで、外国人の私が、日本の数々の賞を頂き、異国の地の日本でも必要とされる研究者になってきたことが、日本で研究を続けている大きな理由のひとつです。また、どの国立大学でも教授になることは大変なことです。多くの実績、多くの人からの信頼など、いくつものハードルを越えて行かなくてはなりません。特に東京大学医学部教授会の判定は極めて厳しく、外国人の私が教授として認められて一員になれたことは、本当に名誉なことですし、今は判定する側になり大変な事と実感しました。選んで頂いたからには、東京大学はもちろんのこと、日本国の為にも貢献したいという気持ちが、より一層強くなり現在に至っています。

実用的なワクチンの開発へ

小林:
先生の専門でもあるワクチン研究のお話ですが、デング熱などのワクチンの研究をされていて、近い将来に実現する可能性についてどうお考えでしょうか。

Moi:
ワクチンは今後も改良を重ねていく必要があると考えています。現在、武田薬品のワクチンが開発されており、4つの血清型に対応する組換えウイルスのワクチンですが、まずそれが先行して接種され、効果が検証されていくでしょう。次世代のワクチンは、それをさらに有効なものにする必要があります。mRNAワクチンなど、新しい方法でワクチンの開発が実現できるのではないかと考えています。

小林:
デング熱のワクチン開発はADE*が起こる可能性があるため、開発が非常に難しいと学びました。

*ADE:一度感染してできた抗体が別の型のウイルスに再感染した際に症状を悪化させてしまう現象。

Moi:
そうですね。2015年頃にフィリピンで行われた大規模なワクチン接種プログラムでは、ワクチンを打った後にデング熱に感染した人から重症患者が出てしまったという問題がありました。これは、ワクチン自体が感染を増強させてしまう可能性があるため、デング熱ワクチン開発には皆が非常に慎重になっています。現在、武田薬品のワクチンが開発され、その安全性と有効性が現実的にどの程度かというデータが必要となります。その次に、その課題を解決できるようなワクチンを開発することが重要だと考えています。

小林:
一度感染した人向けのワクチンが海外で販売されていると聞きました。将来的には、感染したことがない人でも打てるような、予防的なワクチンの開発が進められているのでしょうか。

Moi:
ワクチンを開発するなら、感染歴の有無にかかわらず、誰もが接種できるものを目指さなければなりません。事前に感染歴を調べたり、抗体を検査したりするのは、非常に手間がかかるからです。今後のワクチン開発は、そうしたバックグラウンドを問わず、全員に接種できるようなワクチンを開発していく必要があります。

小林:
現在、デング熱の予防策としては、蚊帳であったり、蚊を寄せ付けないようにする物理的な防御が第一次予防策になるのでしょうか。

Moi:
はい、その通りです。治療薬等がない現状では、蚊に刺されないようにすることが最も重要な対策になります。もちろん、観光客であれば虫除けスプレーをかけるなどでも良いかもしれませんが、熱帯地域に住んでいる人々が毎日おこなうのは経済的にも大変です。蚊取り線香を使うなど、旧来からある蚊対策を徹底することが大切になってきます。

ベトナムにて。WHO担当者として研修時のお写真。手前二人目がMoi先生

小林:
今後の目標や夢について教えてください。

Moi:
これまでデング熱やジカ熱のウイルスの性質などを研究してきましたが、今後はより一歩進んだ、実用可能なワクチンの開発に取り組みたいと考えています。私たちが考えているのは、細胞性免疫も増強させるようなワクチンです。これまでの「抗体を誘導すれば良い」という考え方だけでなく、バランスの取れた防御免疫を誘導できるワクチンを目指して開発を進めています。

小林:
最後に、熱帯医学を学ぶ学生たちに向けて、アドバイスやメッセージをお願いします。

Moi:
熱帯医学者や国際保健学者を目指すうえで、アフリカ諸国などで蚊媒介感染症の研究を、まさに命懸けでおこなっていた野口英世先生の功績なしには語れません。日本人の若手研究者の大きな目標になることと思います。
いまの日本の若手研究者の皆さんには、野口先生のように、積極的に海外でも活動してほしいです。研究や実験方法、研究者が置かれる環境やコミュニティも国によって異なります。多くの国々の研究者と交流することで、幅広い発想を持つことができますので、自らチャンスを作って発展させていくことが大切です。

最後になりますが、学びは一生続きます。学んだ事だから、知らない事だから、得にならない事だからなど、「自分の知識や行動に対して壁を作ってしまうと、研究者としての成長は止まってしまいます」。いつ何時も初心を忘れずに、熱帯医学の進歩に貢献する研究者となって活躍されることを願っています。

2025年東京大学にて。左から、Moi先生、小林輝

対談者プロフィール

Moi Meng Ling
東京大学大学院医学系研究科 国際保健学専攻 国際生物医科学講座・発達医科学 教授。マレーシア出身。大学時代にデング熱を発症したことで、アルボウイルス(節足動物媒介性ウイルス)感染症のデング熱、ジカ熱、チクングニア熱等の熱帯病研究や、関連するワクチン研究に着手することになる。2002年、マレーシア・プトラ大学卒。2003年、在マレーシア日本国大使館推薦により文部科学省・国費留学生として来日。筑波大学日本語学類卒。2010年、筑波大学大学院人間総合科学研究科 社会環境医学専攻 博士課程修了、博士(医学)取得。2010年、厚生労働省 国立感染症研究所 ウイルス第一部第二室・厚生労働技官。2015年、長崎大学熱帯医学研究所 病原体解析部門 ウイルス学分野・准教授、同教授などを経て、2021年より現職。

小林 輝
長崎大学医学部医学科2年。長野県出身。中学時代に発展途上国での医療に興味を持ち、熱帯医学の道を志す。大学ではサッカー部、熱帯医学研究会に所属している。最近、医師や医学系の研究者、先生方とお話しする機会があり、そこで様々な方から「学生時代の勉強をもっとしておけばよかった」という話や、「あの時の学びが今に役立っている」という話を多く聞き、熱帯医学や感染症に関連する授業だけでなく、どの授業も真剣に学ぼうというモチベーションが非常に高まっている。