
熱帯医学への転身と挑戦
佐野:
先生は熱帯医学会で【症例から学ぶ熱帯感染症】を担当されていますよね。いつから熱帯医学の道へ進もうと思われたのですか。
中村:
宮崎医科大を卒業して、実は1年間産婦人科にいました。でも入ってみたら少し違って。
学生時代は水泳部だったのですが、その顧問だった名和行文先生にお世話になっていて、当時から寄生虫学教室に出入りしていたんですよね。産婦人科をやめるときに、ちょうど寄生虫学教室の助手が空いているからということで採用してもらいました。でもそのときはまだ熱帯医学という感じではありませんでした。腸管寄生虫排除メカニズムの研究と寄生虫症の免疫診断をしていましたが、学位を取った後の進路をどうしようかと悩んだ時に、免疫診断で悩んだ交差反応が、臨床の場ではどんな患者さんで起こるんだろうと疑問に思って、墨東に来ました。旭川医大出身でエキノコックスの研究をされている大西健児先生が墨東病院感染症内科の部長だったのですが、毎年、宮崎医大で特別講義をされていて。臨床の勉強をするには大西先生を頼るしかないと思ってお願いしました。臨床はそこからですね。卒業後10年くらいは研究のほうにいたので、墨東の研修では卒業したばかりの研修医の子たちに交じって内科をローテーションしていました。
佐野:
はじめは産婦人科にいらっしゃったのですね!
中村:
そうなんです。初めて熱帯医学にかかわったのがいつだったかというと、、、2006年から2012年に墨東病院にいたのですが、その間に大阪大学の微生物学研究所の大石和徳先生がタイミャンマー熱帯医学研修を始めて、その2期生として行くことができました。その前にも、長崎大学が主催していたタイの研修にも行かせてもらいました。以前から墨東でマラリアやサナダムシなど実際の患者さんを見ていましたが、いわゆる熱帯地域に初めて行ったのはその時ですね。
日本と現地とのギャップ
佐野:
熱帯医学にかかわり始めて、大変なことや難しいと感じることはありましたか。
中村:
現地と日本で見る熱帯病というのは違うと感じています。例えば、講義をするときはいつも言っているのですが、日本だとマラリアの3徴として、発熱・脾腫・貧血って習いますよね?でも実際は、初めてマラリアになった日本人の患者さんに、発熱はあります。脾腫も多少はありますけどエコーで見てやっとわかる程度です。そして、貧血はありません。むしろ脱水で血液は濃縮しています。このような感じで、マラリアが流行している地域で見る患者さんの臨床像と、ぽつんと現れた患者さんの臨床像は全然違うんです。
熱帯医学のフィールドの調査をして、何らかの成果を出して介入するというとき、たいていはマスで見ているんですよね。全体がいい方向に向かうようにと考えます。しかし、特定の感染症が流行していない日本では、やはり個別の事例だったり、様々な病気がある中で、多くの医療従事者がなかなか知らない・あまり遭遇しないような病気を見つけるためには何がポイントかを探るのが違いかなと思いました。興味のある人には【症例から学ぶ熱帯感染症】などで自発的に知ってもらえますが、興味のない人にも知識を広げていって、希少な病気を見つけることができるようにしましょうというのが本来の意義じゃないですか。そこをどうしたら良いのかなと企画をするたびに悩んでいるし、個人でできることは、講演やレクチャーなどでほそぼそやっているという感じですね。
佐野:
たしかに熱帯地方の疾患は、日本では個別で対応されますが、現地では患者さんの数が多い分、広い介入が必要になりますね。
中村:
タイに何度も行った経験からですが、私はタイの方がアウトブレイクをとらえるシステムが進んでいると感じています。タイも村レベル、市レベル、群レベル、県レベルのように4つか5つくらいのコミュニティの単位があって、何か起こった際に上が吸い上げるようなシステムになっています。ここのレベルでは手に負えないとなったら、上位のレベルからラピッドレスポンスチームが派遣されて、アウトブレイクの調査をし、原因究明をしたり、拡大を未然に防いだりとかするシステムがあります。日本にも同じようなシステムがありますが、うまく機能していないように感じています。日本との違いは、タイは他国と地続きなので、あらゆるところから様々な病気が入ってきます。そして鳥インフルエンザやSARSなどの流行のたびに、亡くなる方や経済的な問題など、様々な犠牲の上でシステムが改善されていると思います。しかし日本の場合は島国で感染症侵入の経験値が乏しいですよね。だからコロナの時がそうであったように、個を重視する医療体制に重きがおかれるから、一気に急速に感染症が広がると対応が弱くなってしまうのではないかなと思いますね。
佐野:
タイでそのようなシステムが確立していたなんて、全く知らなかったです。
佐野:
先生は現在どのようなお仕事をされていますか。
中村:
院内の仕事は管理業務がメインです。医師らしい仕事と言えば、外来と、数は少ないですが入院患者さんの受け持ちもあります。普段感染症科で診る患者さんは、尿路感染症、肺炎、無菌性髄膜炎の患者さんが多く、熱帯病の患者さんは数えるほどです。抗菌薬治療が中心ですが、膿瘍ドレナージが必要であれば他科に処置をお願いします。熱源がわからず感染症科に入院して、のちのち調べたらIE(感染性心内膜炎)だったという事例もあります。IEは循環器内科が診る病気ですが、心不全が無かったり、外科的処置が要らなかったりする場合は、そのままうち(感染症内科)で見ます。
この他、感染対策、院内の抗菌薬適正仕様とか耐性菌対策のことなどはAST(抗菌薬適正使用支援チーム)と感染コントロールチームに任せつつ、私自身は1類感染症に備える訓練の企画や院外の関連部署(東京都、地域の保健所、検疫所、医師会)との連携づくりを考えていることが多いですかね。
佐野:
そうですよね。感染症内科は院内の抗菌薬管理のイメージが強いです。
中村:
もともと墨東病院は感染症の隔離病棟を持っていた病院が起源なので、感染対策より入院病床があって感染症患者を治療する方が得意です。そのような歴史的背景もあって、うちは一種感染症指定医療機関に指定されています。ここには2床あります。一種というのは1類感染症のことです。コロナの流行が一段落した今、1類感染症や他の感染症の患者さんがいつどこで発生してもおかしくないし、備えなきゃならない。しかも、1類感染症の一つであるエボラウイルス感染症も、集学的治療で助けられる病気になったんですよ。現地ではマスで見ているけれど、イギリスやアメリカには、現地でエボラに感染して母国で治療を受けた医療従事者もいました。同じことが日本で起きると、個として対応しなければいけません。そのための準備をしています。昨年は、1類感染症患者対応のPPE着脱や受け入れの手順などを忘れないように確実に思い出しましょうということに主眼を置いて訓練しました。今後は救急治療や救命センターなどと、気管挿管・透析、人工呼吸器などの処置を想定した訓練をすすめていこうかなと考えています。このように、重大な感染症に対応できるような態勢を整えて、院内の連携や院外の保健所とかとのコミュニケーションを増やすのが私の仕事ですかね。
ほかには、東京都や都立病院機構本部の感染対応マニュアルを作る、といった仕事があります。感染症学会のインバウンド感染症に対するクイックリファレンス*改訂に委員長を拝命しました。症状から疾患がわかるようなページを作っていて、とても使えますよ(笑)。最新のデータに入れ替えたり、法制度の改定を踏まえたり。あとは、Mpoxの診療についても厚労科研研究班として関わっています。ダニ媒介感染症も興味のあるところで、昨年は墨東病院を会場に当番世話人として研究会を開催しました。
*クイックリファレンス:症状からアプローチするインバウンド感染症への対応 感染症クイック・ リファレンス|日本感染症学会
熱帯医学で拓く日本の未来
佐野:
現在のお仕事の面白さ、やりがいについて教えてください。
中村:
やはり面白いのは、熱帯医学に関心のある学生さんたちが来てくれたりとか、学会で皆さんがあまり知らないような病気をどうやって見つけるかの啓発とか。症例を通して先生方と共有する、それこそ【症例から学ぶ熱帯感染症】を通じて様々な意見を聞くのが楽しいです。
佐野:
日本(日本人)が熱帯医学に関わる、貢献する意義は何でしょうか。
中村:
日本での医療が個に向いてしまっているというのが現状なので、大きなプロジェクトに興味をもっている人が増え、マスで業績をあげている先人たちのやり方を継承していくことがとても大切だと感じます。そして個人的には、熱帯医学で得た新たな視点を日本にフィードバックして欲しい。新しい視点を生かしたフィードバックを提案してほしいと思っています。
佐野:
今後の目標、夢、やりたいことを教えてください。
中村:
自分も個を見るのに限界を感じていて、日本にいてもマスのアプローチをどうにか確立し、発信していけたらいいかなと思います。あとは、次の世代に【症例から学ぶ熱帯感染症】のセッションを引き継がなければいけないですね(笑)。
佐野:
最後に熱帯医学会員学生部会に向けてアドバイスやコメントをお願いします!
中村:
活動を頑張ってほしいというのはもちろんありますけど、それに加えるとしたら、論文を出して欲しいなと思います。短い期間のフィールドワークかもしれないけれど、学会とか大学とかアカデミックな分野にいる以上は、形に残してほしいです。私の知り合いが言っていて印象に残っている言葉があって、「症例報告や論文というのは記念写真と一緒」というものです。出会った患者さんを形に残す際に、記念写真だけでは自分だけの思い出になるけれど、論文として世に出すことで、いろんな反響があったり次の道が開けたりします。論文となると構えてしまうけれど、こんな感覚で作るといいのかなって思います。あとはやはり、臨床が始まると忙しさで目の前の仕事を片付けることにいっぱいいっぱいになることがありますが、熱帯医学へのパッションを忘れないで頑張ってほしいです。
左から、近藤裕哉、中村ふくみ先生、佐野はるか
対談者プロフィール
中村ふくみ
墨東病院感染症内科部長。宮崎医科大学(現宮崎大学)卒業。研究が主体の熱帯医学分野にて、臨床の視点から貢献している。日本熱帯医学会では、人気ワークショップ【症例から学ぶ熱帯感染症】を毎年開催。COVID-19の経験を活かし、1類2類感染症対策、災害医療に携わる。
佐野はるか
新潟大学医学部医学科6年。埼玉県出身。中学生の時に視聴したハンセン病の特集をきっかけに、熱帯医学・途上国の医療に興味をもつ。大学ではダンス部に所属し、国際交流にも携わる。医療が不足している地域に貢献できる医師をめざす。