【学会員紹介#7】 森保 妙子(長崎大学グローバル連携機構 助教)

恩師に魅せられて熱帯医学の世界へ

北村:
森保先生は経済学の学位を取得されていたり、寄生虫学の領域で研究を行われていたりと多彩な領域でご活躍されていらっしゃいますが、これまでのキャリアについて教えてください。

森保:
私は、最初は臨床検査技師になるための大学に進学しました。当時はまだ「保健学科」として統一されておらず、「医療技術短期大学部」という名称で、全国の国立大学に設置されていました。私はその中の一つ、九州大学の医療技術短期大学部に行きました。そこには現在でいう看護師、臨床検査技師、放射線技師など、いわゆるコメディカルスタッフを養成する3年制の学部がありました。現在は、すべて医学部保健学科に統合されています。私はそこで三年間学び、臨床検査技師の資格を取得しました。

医療職を目指すきっかけとなったのは、小学生の頃に見たエチオピアの大飢饉でした。当時は、ちょうど社会運動におけるマスメディアの影響力が高まり始めた時代で、世界中にエチオピアの深刻な状況が大々的に伝えられていました。ハリウッドをはじめとする多くの人々が支援に動き、アメリカでは「We Are The World」が流行していた時期です。日本でも、そうした国際的な社会課題に目を向ける動きが広がっていて、私も10代の頃にそのようなニュースや映像に強い衝撃を受けました。「世界は一つ。何か自分にもできることがあるはずだ」と子どもながらに思い、まずは医療が最も必要だと感じて、医療系の道に進もうと決めました。

そして大学で、最初に出会ったのが「熱帯医学研究会」でした。当時の九州大学でも熱帯医学研究会が活動しており、そこで同じ志の同期と出会い、大きな刺激を受けました。

北村:
それが、先生が熱帯医学に関わることになったきっかけになるのでしょうか。

森保:
そうですね。ただ当時は、熱帯医学が非常に下火になっていた時代でした。熱帯医学という分野は、日本で一度火が消えかけたことがあるのです。もともと熱帯病と呼ばれる感染症のうち住血吸虫症やフィラリア症、マラリアといった感染症は日本にも存在しており、それに取り組む必要がありました。また、それ以前には、熱帯病研究は植民地統治の一環として進められていたという歴史もあります。日本はアジアに進出する過程で熱帯病対策を重視し、その研究を進めていましたし、また、国内にも実際に感染症が存在していたので、国内の課題としても取り組まれていたのです。しかし、敗戦によって日本は海外の領土を失い、植民地統治という目的は無くなりました。また戦後しばらくして、経済発展により公衆衛生が向上するにつれ、国内では熱帯病や寄生虫感染症は社会的な問題ではなくなっていきました。私が大学に入った当時は、全国の国立大学にあった寄生虫学教室が次々に廃止されていった時期だったのです。

北村:
そのような時代があったのですね…。

森保:
はい。そして、私が大学に入った時代の熱帯医学研究会は、ほとんど活動していない状況でした。ところが、私が入学した年に、たまたま同じように「世界に目を向けたい」と思っていた同世代の学生たちが集まり、私たちの同期だけで7〜8人が研究会に入りました。その翌年にはさらに10人ほどの新入生が入り、一気に活気が出てきました。そして熱帯医学研究会は海外で医療援助をしたいという志を持つ学生たちが集まるような雰囲気のサークルへと変貌しました。当時、九州大学医学部寄生虫学講座には、私が最も影響を受けた恩師である多田功先生がいらっしゃいました。多田先生は、熱帯医学会の顧問も務めておられました。先生からは、グアテマラや琉球での研究活動のお話を伺い、私たち学生は「いつか熱帯の風をこの身に感じたい!」「いつかみんなで熱帯に行こう!」と思うようになりましたね。多田先生からお聞きした話で印象深いのは、琉球での調査活動です。先生は、まだ沖縄がアメリカの占領下だった時代にフィラリア症を調査するという名目で、米軍の調査許可を得て、学生と共に現地に行かれました。この沖縄調査隊が、後の九大熱帯医学研究会の起源となったそうです。当時学生として参加された先生方のお話を聞いたり、同行したテレビ局が製作したドキュメンタリー映像も見せていただき、本当に心が躍りました。今では、多田先生が私達に伝えてくださったように、私も次の世代の若い人に熱帯医学のワクワクを伝えていきたいと思っています。

2024年ケニアKwaleにて。
トイレ建設を話し合う保護者会議についてきた赤ちゃんを抱く森保先生

多分野にわたるキャリアーそれを活かす

北村:
卒業してからは、どのような道を歩まれたのですか。

森保:
卒業後は長崎の原爆病院で臨床検査技師として働いてました。でもだんだんと、病院の検査室で検体を検査するだけの日々に物足りなさを感じるようになりました。もっと勉強したいと思って、多田先生にご相談したら、長崎大学熱帯医学研究所寄生虫学分野の青木教授を紹介してくださいました。青木先生の部屋を訪問したときは、かなり緊張して何を話したか全然記憶に無いのですが、それからは、病院での勤務後に講師の藤巻先生にお世話になって、化合物の抗寄生虫効果を見る実験を夜な夜なさせていただきました。スナネズミから取り出したパハン糸状虫*という寄生虫に対して薬剤の効果を見るという実験でした。 ラボでの実験は面白く、学びがいがあったのですが、もっと人と関わって、実際に現地の感染症対策につながるようなことをやりたいと思うようになりました。そして、感染症の対策には医療だけではなく、もっと社会のことを学ぶ必要があるのではないかと考え、経済学を学ぶことにしました。その当時、長崎大学がちょうど、経済学部の夜間コースという、夜に社会人が通える学部コースを開設したのです。 仕事しながら勉強できるのがいいと思って、仕事を終えた後に大学に通いました。それで、4年間の課程を修了し、経済学部の学部を卒業したのです。 

*パハン糸状虫:人には感染するが、ネズミなどが終宿主の糸状虫。

北村:
経済学は、社会人学生の学部生として学位を取得されていたのですね!どのようなことを学ばれたのですか。

森保:
経済学部では、数理モデルを使って業務の効率化や意思決定支援を行う数理計画法の研究室に入りました。私の関心は、特に非営利団体が途上国で活動する際の評価指標にありました。一般に、このような活動の評価には数値目標が設定されますが、その達成度や効果を明確に定量化することは容易ではありません。そこで私は、単なる数値目標だけに依拠するのではなく、活動の改善案や効率性をより的確に把握できる方法を模索しました。この研究テーマをさらに発展させるため大学院へと進学し、カンボジアで活動する非営利団体「るしな・こみゅにけーしょん・やぽねしあ」にお願いして、現地で一緒に活動評価をさせてもらい、経済学の修士号を取りました。

北村:
森保先生がカンボジアのプロジェクトの活動評価で使われていた手法は具体的にはどのようなものなのでしょうか。

森保:
包絡分析法(data envelopment analysis:DEA)という効率性を評価する分析手法を使いました。
DEAは、複数の事業体の相対的な効率性を測定する手法であり、入力(インプット)と出力(アウトプット)の比率に基づいて効率を評価します。基本的な考え方は、投入されたリソースに対して得られた成果の度合いを測るということです。カンボジアのプロジェクトは、農村ごとに農業協同組合を組織し、マイクロクレジットを普及させていました。 私の研究では、通常は数値化が困難な非定量的要素や単位の異なる指標も評価対象に含めて、複数の組合を相対比較することを試みました。 大きい組合と小さい組合でしたら、大きい方が利用できる資源や材料を多く持っているから小さい組合よりも有利だと思えますが、相対評価すると、小さい組合でも、ある部分では、大きい組合よりも勝っているということも出てきます。また、組合長のリーダーシップのような質的な評価も数値に変換し、インプットとして取り入れる工夫もしました。

北村:
効率評価にも様々な手法があって面白いですね!森保先生は、寄生虫学分野で博士号も取得されていますが、経済学からどのようなきっかけで寄生虫学分野を学ぶことになったのでしょうか。

森保:
経済学修士を取った後、10年間ほど結婚と出産で専業主婦をしていたのですが、長崎大学の熱帯医学研究所の教授になられた濱野真二郎先生から、長崎大学に新しく「リーディングプログラム」という大学院のコースができるけど受けてみない?とお声をかけていただきました。濱野先生とは、私が九州大学の熱帯医学研究会に入っていた時から関わりがあったのですよ。リーディングプログラムは、文科省が実施する博士課程のプログラムで、各大学が各自の教育の特色で、グローバルに活躍できるリーダーを育てるというものです。長崎大学は感染症分野のリーダーを育てるということを目的にした大学院を開講したばかりでした。リーディングプログラムが研究者を育成するプログラムではなく、専門分野の枠を超えて、産学官の協力を得ながら社会の課題に立ち向かうリーダーを育成するプログラムだというのが、私にはとても魅力的に思えました。そこで一念発起して受験に臨み、晴れて合格して濱野先生の寄生虫学研究室にて博士号を取得することができました。

北村:
現在はどのようなことをされているのでしょうか。 

森保:
現在は「人の行動変容」を研究テーマに活動しています。行動変容には、教育、行動特性、心理的要因など、さまざまな要素が関係しており、それらを統合的に捉えながら研究を進めています。そして、濱野真二郎先生が進めておられる住血吸虫症のプロジェクトにも参加して、感染症対策において「人の行動がどのように感染に影響し、どう変えることで病気を防ぐことができるか」という点に関心を持って取り組んでいます。

たとえば、住血吸虫症のように繰り返し感染する感染症は、薬による治療で一時的に有病率が下がることはありますが、感染源が環境中に存在する限り、感染症自体はなくなりません。人々がこれまでと同じ生活を続ければ、同じように感染してしまいます。もちろん、薬や診断技術の開発は重要ですが、それだけでは不十分であり、最終的には感染しないような生活様式へと変えていく必要があります。感染は、病原体のライフサイクルと人の行動が重なった地点で発生します。その重なりを「どこで断ち切るか」が対策の戦略となります。たとえば、上水道が整備されていない地域で「湖の水に触れないで」と言っても、水は生活に不可欠なものですので、それに従うのは無理です。そのような場合、対策の焦点となるのは排泄行動です。排泄物が水源に入らなければ、感染のリスクは下がります。トイレがなくても、水場から離れた場所で排泄するように呼びかけを工夫することで、感染を防げる可能性があります。そうした、現地の人々が実行可能と思える、折り合いのつくポイントを見つけることが重要です。そのためには、現地の人々の声を聞くことが不可欠です。現地の人々は、私たちとは異なる常識で生活していることを理解しなければなりません。

北村:
なるほど。頭では分かっていても、本質を理解することは簡単ではなさそうですね。

森保:
こうした背景から、行動科学や心理学など、社会学的なアプローチをもっと実践的に活用していきたいと考えています。今ケニアで行っているトイレの普及プロジェクトでは、現地の人がやりたいことを一緒にやって、できないところを支援するようにしています。ただ、トイレを作ってあげるだけでは使ってもらえず、意味がないので、現地の人にどのようなトイレを作りたいのかを話し合ってもらい、できたトイレの管理も自分たちでできるように話し合って決めてもらいます。

さらに、政策や社会全体の動きも非常に重要だと思っています。たとえば、顧みられない熱帯病(NTDs)の対策を進める過程では、病気をどうコントロールするかだけでなく、政策的にどう進めるのか、どのように社会的なキャンペーンを展開していくのかといった視点が欠かせません。このような考えは、もう一人の恩師である一盛和世先生から大きな影響を受けました。先生は、リンパ系フィラリア症の対策において長年WHOで活躍されてきた方で、感染症対策にはサイエンスだけでなく政策の力が非常に重要であるということを教えていただきました。

2025年ケニアKwale、トイレ建設の最初の様子。
トイレの汚物槽を子どもたち、保護者、先生、村の人みんなで2メートル近く掘る。
2025年ケニアKwale、男子用トイレ。ドアがない方(白い壁)は小便用のトイレ。

北村:
今後の夢や目標を教えてください。

森保:
日本の熱帯医学研究者の研究成果がきちんと社会に活かせるように支援していきたいと思ってます。 今私は、長崎大学の国際化を担う部署におり、国際共同研究の枠組みを作るサポートや教育の国際化に取り組んでいます。医学研究に限らず、今や研究プロジェクトは、研究者1人でやるようなものばかりではなく、分野をまたいで研究者が関わるものが増えてきました。 また、研究者だけではなく産官含め多分野の協力というのが不可欠となってきているので、分野をまたいだプロジェクトの枠組みを作ったり、 マネジメントをしたりする部分で熱帯医学分野の役に立ちたいと思っています。

北村:
多分野の人を繋げていくにあたって、それぞれの専門性があって考え方が違う人が多いと思うのですが、そのような人たちと折り合いをつけて、協力を得ていくためのコツはありますか。

森保:
私のバックグラウンドを見ていただくとお判りでしょうが、いままでいろいろなことをやってきました。専門性がない、と言われればそうかもしれませんが、逆にそれを強みに、一つの分野からだけの視点で物事を見るのではなく、それぞれの立場の違いを理解した上で、双方が納得して、一緒の方向に向かえるような粘り強い交渉ができるように努めています。 

北村:
現在のお仕事のやりがい、面白さを教えてください。

森保:
いろいろな人と話したりするのがとても楽しいです。様々な分野の人と会えるだけでもとてもやりがいがあります。もう一つやりがいを感じるのは若い人の教育です。 教育でのやりがいは、いわゆる学術的な教育だけじゃなくて「体験を共に享受すること」にもあります。例えば、学生たちと一緒に海外に行って、日本では見たことないような景色を見たり、価値観に触れたときに、学生たちが感動している瞬間に立ち会えるというのがとても嬉しいです。かつて、自分自身が多田先生に薫陶を受けたように、私も少しでも若い世代に良い影響を残せればと日々考えて活動しています。

熱帯医学はロマン

北村:
日本人が熱帯医学に貢献する意義は何だと思いますか。

森保:
熱帯医学への貢献には学術的・実務的な意義があるのはもちろんですが、それ以上に“ロマン”があります。ビーチにヤシの木があって、サーサーと波の音がしたり、ヴィクトリア湖の風に吹かれたりすると、頭の中で「風に立つライオン」の曲が流れてきます。私が日本に生きている今この瞬間、あの人がケニアで、同じ時代に、この地球上に生きているのは奇跡的なことではないでしょうか。それで全然関係がなければそれまでですが、偶然にも、ある病気と闘うために一緒に取り組んでいるのはまさに奇跡じゃないですか。 人類にとって共通の敵である感染症に一緒に立ち向かおうって言ってるだけでもすばらしいロマンを感じます。 

北村:
「熱帯医学はロマン」とは素敵な言葉ですね!熱帯医学会学生部会の学生に向けてアドバイスをお願いします。

森保:
どこか青臭さのような気恥ずかしさもあると思いますが、ぜひ、みなさんもロマンを語ってみてください。私は、九州大学の熱帯学研究会に入ったときに、示し合わせたわけでもないのに、同じサークルになぜか同じ志を持つもの同士が集まり、 そこから人生が変わったと感じました。そういうダイナミズムを学生さんにも感じてほしいです。また、その当時出会った仲間と、10年、20年経って一緒に仕事ができたり、今度一緒にプロジェクトをやれたらいいねというような話にもなったりするので、若いころの繋がりは本当にいいですね。 夢を持ったまま大人になれるのが熱帯医学です!

また、例えば、アフリカのような海外に行くと感じることは山ほどあると思います。研究をしてもいいし、研究をしなくても、とにかく行ったことないところに行く、食べたことないものを食べる、会ったことない人と話す。 それだけで素晴らしいです。熱帯医学会学生部会での経験は財産になると思います。だから、卒業して熱帯医学をやらなくても全然問題なくて、学生時代に得たものは必ず将来どの分野で何をしようとも糧になると思います。

2025年長崎大学にて。
左から、安中悠眞、森保妙子先生、北村亜依香

対談者プロフィール

森保 妙子
長崎大学グローバル連携機構 助教。九州大学医療技術短期大学部で検査技師の資格を取得し日本赤十字社長崎原爆病院での勤務の傍ら、長崎大学経済学部にて経済学学士、同研究科にて修士(経済学)を取得。10年のブランクを経て長崎大学寄生虫学分野で、博士(医学)を取得。多分野にわたる経歴を活かして、海外でのプロジェクトに貢献している。趣味は観葉植物を育てること。

北村 亜依香
2025年3月、鳥取大学医学部生命科学科卒業。長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科修士1年(2025.10月~)基礎研究の面から顧みれない熱帯病(NTDs)の対策に貢献したい。フィールドに赴き、現地のニーズを見据えた研究を行いたい。興味があるのは、住血吸虫、基礎研究、疫学研究、免疫学。好きなことは海外旅行。