
世界の寄生虫疾患への憧れースナノミ研究に至るまでー
安中:
先生のこれまでのキャリアや、どうしてスナノミを研究し始めたのかを教えてください。
日向:
私は、日本大学生物資源科学部獣医学科を卒業後、東京都健康安全研究センターの食品添加物研究室と寄生虫研究室で東京都内の食品添加物の検査研究、食品媒介寄生虫症対策、感染症対策、その時々のトピックスの情報発信と普及啓発などの仕事を5年間していました。その後、都内だけでなく世界の寄生虫症に携わる機会が欲しいなと思い、長崎大学大学院医歯薬学総合研究科新興感染症病態制御学系専攻に進学しました。大学院では長崎大学熱帯医学研究所生態疫学分野に所属していました。研究室では疫学研究でスナノミのデータを集めていたものの、まだデータの解析が行われてなかったため、国内でスナノミの研究を始めました。スナノミ症は、同じような気候、植生、経済状況等を共有する地域内、例えば、同じ村の中でも不均一に分布することが知られています。なぜスナノミ症にはホットスポットが存在するのか。これに答えるべく、ケニアの沿岸部で収集されたデータを用いて、スナノミ症の環境的および世帯的な空間リスクの解析をしていました。研究を進めていくにつれて、スナノミをより深めたいと思い、海外留学を支援するポスドク奨学金を利用して、ケニアのInternational Centre of Insect Physiology and Ecology(国際昆虫生理生態学研究センター)に留学していました。その後長崎大学に戻り、長崎大学熱帯医学研究所寄生虫学分野の助教という立場で、デング熱ワクチンとマラリアワクチンの研究開発にも携わっていました。2025年4月からは長崎大学を離れ、日本大学生物資源科学部獣医学科に異動する予定です。今後も機会があれば、海外と連携してスナノミの研究を続けていきたいと考えています。
安中:
先生が熱帯医学に関わろうと思ったきっかけは何ですか。
日向:
中学生の時に「空飛ぶ寄生虫」や「笑うカイチュウ」という本を読んで、寄生虫の世界に魅入られてしまったのが、元々のルーツとしてあります。大学院進学を決めた頃から世界の寄生虫症に携わりたいと思っていて、特に寄生虫症が流行しているのは熱帯・亜熱帯地域なので、そこから熱帯医学に携わりたいと思うようになりました。
スナノミトラップの開発ーケニアでのフィード調査を通してー
安中:
先生は今どのようなお仕事をされているのでしょうか。
日向:
私は今スナノミ症を引き起こす「スナノミ」という昆虫の研究をしています。そして、スナノミを捕獲して、数を減らしていけるトラップをできれば作りたいなと思っています。スナノミが何の因子に引き寄せられるのかを研究して、その結果をもとにトラップを開発したいという方向で仕事をしてます。
安中:
スナノミのトラップをどのように作るのか教えてください。
日向:
まず、ケニアでスナノミの成虫が何に誘引されているのかを調べていました。スナノミは、実験動物に寄生をさせて、生活環を継代維持する方法がありません。そのため、スナノミの幼虫を得るために、スナノミ症の罹患世帯の寝室の土を採取させていただいていました。スナノミ症に罹患していると、手足に寄生したスナノミが地面に卵を落とします。卵は土の中で孵化して幼虫となり、自然条件下ではそのまま蛹を経て成虫へと成長します。長く滞在して卵が落ちる機会が多い場所、つまり寝室では、土の中にスナノミの幼虫が多く含まれています。このため、寝室から土を採取し、幼虫を分離し、成虫まで育てて実験に用いていました。
安中:
スナノミは何に誘引されているのでしょうか。
日向:
おそらく他の吸血性昆虫と同じで、寄生動物の体温やにおいに惹かれていると考えています。しかし、1番トラップに使えるかなと思ったのは光です。蛾や蝶、蚊などの昆虫も光に誘引されるのと同じようにスナノミも光に誘引されることがわかりました。
安中:
先生はトラップを作るにあたって、誘引されるとわかっている光、熱、においを組み合わせたトラップを作ろうと考えているのでしょうか。
日向:
当初は、複数の誘因を組み合わせてもっと誘引を強くしたいと考えていました。しかし、実際のフィールドに適応する時のシンプルさを考慮して、光だけを使ったトラップを検討しています。
安中:
トラップ以外でスナノミ症対策は何があるのか教えてください。
日向:
スナノミの捕獲だけではやはり対策としては厳しいです。捕獲以外には殺虫剤でスナノミの数を減らす方法もあります。また、スナノミ症の治療も重要です。スナノミ症対策に向けて、これらとの統合的なアプローチの一つとして、トラップの開発に取り組めたらいいなと思っています。
安中:
スナノミの治療はどのように行うのでしょうか。
日向:
安全ピンやかみそり、植物のとげ等を用いて、スナノミを皮膚から取り出すことが一般的には行われています。ケニア人に言わせると、取り出すときにつぶしてしまうと炎症が強くなるので、きれいにスナノミのボールだけを取り出すのがコツだそうです。ただし、この方法は、血液媒介感染症や二次感染等のリスクがあるため、推奨はされていません。WHOは、NYDA*というジメチコンオイルを勧めています。もともとNYDAは、髪の毛につくシラミの治療薬ですが、スナノミ症に適応すると皮膚に埋没しているスナノミを窒息死させることができます。しかし、残念ながら、NYDAはスナノミ症の蔓延地域で入手可能な製品ではありません。
*NYDA:薬の商品名(主成分は二種類のジメチコンで、スナノミの呼吸器系を物理的に塞ぐことで窒息死させる)
安中:
そんな画期的なオイルがあるのに現地では入手困難なんてことが発生しているんですね。
スナノミ感染の実体験?!
安中:
現地でスナノミに感染したと聞いたのですが、どういった症状でしたか。
日向:
偶然、3匹のスナノミが足のかかとに感染しました。うち2匹はすぐに気づいて抜いたのですが、1匹は気付かず放置してしまいました。寄生されてから1週間は何も症状はありませんでした。その後、スナノミが皮膚に潜り込んでいることによる痛みや痒みが出てきました。しばらくすると、私の場合アレルギー反応が強く、スナノミが寄生している部位に水疱のような腫れが生じました。そのため、靴が履けなくて歩きにくかったです。寝ている時も痒く痛みも生じてあまり寝れませんでした。
安中:
現地の病院で治療するんでしょうか。
日向:
私は病院で水疱のような腫れを破って中の水を抜いてもらいました。その後、抗生物質のクリームを処方してもらいました。
日向先生が語るスナノミの魅力 ー可愛らしいのに、にくいやつ?!ー
安中:
先生の思うスナノミの魅力や見た目、生態、可愛らしいさなどを教えてください。
日向:
スナノミ成虫は、お顔のツンと尖った形が特徴的な形態で、すましているように見える可愛さがあります。また、他のノミと比べると、非常に小形(体長0.5-1.0 mm)で、spine(棘)が頬や前胸背板になく、体表もsetae(剛毛)が細くて少ないため、全体的に可憐な印象です、私だけでしょうか(笑)
ノミは、皮膚に寄生することなく宿主の体表等で繁殖する種類がほとんどですが、スナノミのメスはわざわざ表皮に潜り込んで交尾産卵をします。このスナノミの皮膚寄生がスナノミ症の本体であり、強いかゆみや痛み、二次感染を引き起こします。生物学的にみれば、スナノミの生活環はユニークとも言えますが、その点こそが病害を深刻にしている憎いところでもあります。
スナノミで苦しむ人々を助けたい
安中:
お仕事の面白さややりがいはなんでしょうか。
日向:
研究材料(寝室の土)を入手するために、スナノミ症の罹患世帯の方のお家にお邪魔させていただいた時に、現地の方と話をする機会やどういう生活を送られているかを拝見する機会があります。スナノミ症に罹患している方々が、どういう負担を負っているかを直に見てきているので、それに最終的に役立てるであろう研究を進められていることにやりがいを感じます。
安中:
研究材料を収集する際に、現地住民の協力はどのように得ていたのでしょうか。
日向:
ケニアでは、コミュニティヘルスボランティアという保健の民生委員の方が、自分の地域の住民の健康に関する情報を把握しています。研究でスナノミ症の罹患世帯を訪問する際には、コミュニティヘルスボランティアの方にまず研究目的等を説明し、担当地域のガイドをお願いしていました。現地の方に研究参加の依頼をする際には、ケニア人スタッフが公用語のスワヒリ語か部族語で説明をして、同意を得ていました。現地の方が理解しやすいように、コミュニティヘルスボランティアが部族語でのコミュニケーションを手伝ってくださることもありました。研究材料を現地の方の家からサンプリングする前には、もちろんケニア国内における倫理許可や国、地元行政からの研究許可を上から下へと得ていき、最終的には研究参加者から研究参加の同意を得ます。
安中:
現地住民の協力を得るのに多くの段階が必要なんですね。現地住民やスタッフと研究を進める上で、大切にされていることを教えてください。
日向:
例えば、ケニア人スタッフと私とでは、お互いに異なるバックグランドを有することから、意思疎通のすれ違いが起こることもあります。そのため、あれ?と思うことがあれば、しつこいようでもその都度確かめて、思い違いがないように気を付けていました。また、サンプリングの際には、現地の風習や文化を尊重して、電話や訪問のタイミングを配慮することもありました。
安中:
確かに文化の違いを意識して、協力を得ることは大切ですね。ケニアで研究を進めるにあたって、大変だったことや難しかったことがあれば教えてください。
日向:
雨や風が強い日には停電やインターネットの停止が頻繁に起こりますし、世界的な物価高による生活苦を訴えるデモや大統領選挙に関連して通勤経路が封鎖されることも何度かありました。ケニア人にとっては当たり前?かもしれませんが、日本人にとっては予想できない事象が日常茶飯事です。それに対応しつつサバイバルするのが、面白みもありつつ大変な点でした。
安中:
先生の今後の目標や夢は何でしょうか。
日向:
スナノミ症は人だけではなくて、動物にもかかるzoonosis*で、今は人間の方にアプローチしていますが、動物の方のスナノミ症の対策にもスナノミをホイホイと捕獲するトラップを使って、より展開を広げていきたいなと考えています。もしスナノミを捕獲するトラップが有効であるのなら、たとえば国際的な協調のもと、マラリア対策で蚊帳を無償で配布出来たように、スナノミトラップを無償で配布出来たらなというのが夢です。
*zoonosis:人獣共通感染症
安中:
日本(日本人)が熱帯医学に関わり、貢献する意義について先生のお考えを教えてください。
日向:
地球温暖化や昨今の異常気象が進めば、熱帯医学が「熱帯の」医学でなくなる日も遠くないのではないかと考えています。また、熱帯地域に起こる課題は、その地域だけの問題ではなく、地球全体の課題であると認識しています。「日本人が」というよりも、国籍や出身地域に関わらず、熱帯医学に関わることは、地球課題に対峙するという意義があると考えています。
安中:
最後に、熱帯医学会会員学生部会に対するコメントやアドバイスをお願いします。
日向:
熱帯医学に携わっている先生方とお話しすることを通して、先生方とのコネクションを作れるのは、J-Trops*の活動のいいところかなと思います。学会に行くと偉すぎる先生とは話しにくいかなと思うんですよね。インタビューだったら先生方の活動について掘り下げて聞き取りやすいので、こういった活動を続けて欲しいと思います。
*J-Trops:日本熱帯医学会学生部会
左上から時計回りに、大城健斗、安中悠眞、日向綾子先生、北村亜依香
対談者プロフィール
日向 綾子
日本大学生物資源科学部獣医学科獣医食品衛生学研究室専任講師(2025年4月より)。日本大学生物資源科学部獣医学科卒業後、東京都職員を経て長崎大学大学院医歯薬学総合研究科新興感染症病態制御学系専攻にて博士号を取得。その後、ケニアの国際昆虫生理生態学研究センターに所属し、長崎大学熱帯医学研究所寄生虫分野の助教を務めながらスナノミの研究、スナノミトラップの開発に携わる。新年度から長崎大学を離れ、日本大学生物資源科学部獣医学科に戻る予定。
趣味は、手芸、スケート、水泳。座右の銘は、上杉鷹山の「成せば為る、為さねば成らぬ。何事も成らぬは人の為さぬなりけり。」
安中 悠眞
産業医科大学医学部医学科4年(2025年4月より)。神奈川県出身。大学2年時の寄生虫学の講義で、糞線虫の生活環の奇妙さから寄生虫に興味を持つ。現在寄生虫学教室で、ネズミマラリア原虫のコラーゲン関節炎の抑制について研究。大学では、ヨット部に所属。座右の銘は「思い立ったら吉日、その日以降はすべて凶日」