【学会員紹介#4】 加賀谷 渉(長崎大学 熱帯医学研究所 生態疫学分野 助教)

「臨床を飛び越えて研究へ」―熱帯医学への入り口

大城:
加賀谷先生は医学部を卒業されてから熱帯医学の道に進まれましたが、これまでのキャリアはどのようなものでしたか? 

加賀谷:
僕は東京医科歯科大学の医学部を出て、臨床研修はせずにそのまま大学院に進学しました。正直、医学部に入った当初から、これになりたいという強い目標があったわけではなくて、4年生のときに研究室配属の機会があって初めて、進路についてちゃんと考え始めたという感じなんです。そのとき、たまたま寄生虫学の研究室に入ったのがきっかけで、ガーナに行く機会をもらいました。小さい頃からアフリカのドキュメンタリー等を見ていて漠然とした興味があったこともあって、「アフリカに行けるなら行ってみたい」と思って参加したんです。現地では外務省の医務官や熱帯医学会にも所属しているような研究者の方々とも出会い、医者といっても病院で働くだけじゃなくて様々なキャリアがあるのだと気づき、熱帯医学をやってみようと思いました。ちょうどその時期にMD-PhDコースが始まったこともあって、お金をもらいながら研究できるならセーフティーネットとしてもありだなと思って、MD-PhDコースに進みました。5・6年生は普通に医学部のカリキュラムをこなしながら、「まずは研究に集中してみて、もし合わなかったら臨床研修に進めばいい」と考えていました。最初に研修をしてから研究に入るよりも、連続性があるほうが自分には合っていると思ったんです。

大城:
ガーナでの経験が、加賀谷先生のキャリアを大きく動かすきっかけになったのですね。やはり現地での体験というのは、教室では得られないインパクトがありますよね。

加賀谷:
そこから、医科歯科の大学院に進んだのですが、自分としては原虫に興味があり、特にマラリアが一番メジャーでやっている人が多くて、教育を受ける機会が多そうだなと思いマラリアを選びました。ある意味、打算的な選択だったかもしれません。当時の研究室では住血吸虫がメインでマラリアを扱っていなかったのですが、その時の教授であった太田伸生先生が他のところで勉強してきてもいいよと言ってくださり、長崎の熱帯医学研究所に来ていました。熱帯医学研究所では金子修先生のもとで2年間、原虫の遺伝子改変やタンパク質発現の解析など、分子生物学的なトレーニングを受けました。一方で、バックグラウンドがMDであることもあって、「やはり実際に病気が起きている場所に行って人をみたい」という気持ちはずっと持っていました。だからこそ、まずは基礎研究のトレーニングをしっかり積んだ上で、次のステップとしてフィールドに出ようと考えていました。そして、ちょうどMD-PhDコースの3年が終わりに差し掛かる頃、大阪公立大学(当時の大阪市立大学)の金子明先生に声をかけていただきました。先生はバヌアツやケニアでフィールド研究を展開されていて、ちょうど大型の研究費を申請するタイミングだったこともあり、「一緒にやらないか」と誘っていただいたんです。大学院を修了してすぐに、フィールドでの活動が始まりました。そこから今に至るといった感じです。

大城:
先生のキャリアを聞いていて少し気になったのですが、最近は医学部を卒業してすぐに大学院に行くことは珍しい選択肢になっています。その選択をして良かったことはありますか?

加賀谷:
医学部を卒業して臨床研修に進まず、すぐに大学院へ進んだことについては、僕自身の中では「その時にやりたいことを素直に選んだ」という意味で、当時の自分には合っていたと思っています。ただし今でも、周りの先生方からは「やっぱり研修はしておいたほうがいいんじゃないか」と言われることがよくあります。というのも、医学部で学ぶことのひとつの大きな価値って、「人を全体として診る視点」だと思うんですよね。頭から足先まで、トータルで見るというのは、教室の中だけではなかなか身につかない。やはり現場に出て、患者さんと向き合ってみないと得られない感覚があるんだと思うんです。だから僕自身、ベッドサイドでの経験はないけれど、なるべくその視点を意識するようにはしています。

大城:
確かに研究だけでは得られない視点が臨床の現場にはありますよね。加賀谷:
それでも、大学院で学んだことで得られた視点も確かにあります。たとえば、医学部では基本的に「ヒト」しか扱わないことが多くて、他の生物について学ぶ機会って本当に少ないんですよね。そんな中で寄生虫学は、他の生き物を対象にする、ほぼ唯一といっていいチャンスだったんです。そういう視点を持てたことは、自分にとって非常に貴重でした。博士課程に進んでからは、生物系の研究者たちとも多く関わるようになりました。彼らにとっては、人間も他の色々な生物のうちの一つでしかなくて、自分は「マラリアの撲滅」といったことを大事だと思い研究を始めたわけですが、マラリアを「非常にユニークで興味深い生物」として研究している人もいます。そのように価値観が全く異なる人たちが集まって同じテーマで話していて熱帯医学という分野はすごく面白いと思います。フィールドに出れば、経済学や人類学、水文学など、さまざまな分野の専門家たちに出会う機会もあります。そして、彼らには別の専門性があってお互いに知らない知見を持っていて、考え方も違っていたりもします。そういう違いがあるからこそ、一緒に話しているとすごく良い刺激になります。そういう意味で、僕にとって熱帯医学は本当に面白い場だなと思います。

一年間の介入試験を終えて、現地の研究協力スタッフたちと

マラリア研究の実際ー様々なフィールドを訪ねて

大城:
現在、どのような研究・仕事をされているのか教えてください。

加賀谷:
現在の仕事の中心は、ほぼ100%がマラリアに関することです。主にケニアで行っていますが、マラリアの疫学といっても多岐にわたります。例えば、介入研究であったり、観察研究でコホートを作って同じ人々を経時的に追跡して、マラリアの感染状況や伝播の様子を把握するといったことをしています。他にも、新しいツールや戦略、診断法などの有効性を評価する仕事もあって、そこでは企業の人たちと一緒に共同研究で評価するプラットフォームを作ったりしています。

大城:
マラリアといっても色々なことをされているのですね。先生が取り組まれている介入研究に関連してお伺いしたいのですが、現地の方々の協力を得るためにはどのようなことをされているのでしょうか?

加賀谷:
そうですね、実は現地に入るためには、ある程度“型”のようなものがあります。「まず誰と話すべきか」というのが地域ごとに存在していて、それを把握するのが非常に重要ですし、正直言ってかなり大変でもあります。
たとえばケニアの場合だと、まず保健省や教育省と話をします。その際、国のレベルと県のレベルがそれぞれあるので、両方にきちんと説明し、了承を得る必要があります。さらにその下のレベルにいる行政の担当者、そして地域の首長のような立場の方とも順を追って話をしていくことになります。そういった構造は確かにあるのですが、どこにも明確に書かれているわけではないんです。「決まっているようで、決まっていない」そういう仕組みなんです。
ですので、新しい地域に入るたびに、誰かの紹介を頼りに、その地域に縁のある方を通じて関係性を築いていくという流れになります。たとえば最近では、セネガルでマイセトーマという病気の研究を始めようとしているのですが、その際にもスーダンの先生にセネガルの先生を紹介してもらいました。その先生から「この地域で研究をするなら、まずはこの人に話をしなければいけません」と教えていただき、次にその方から「村で調査をするなら、さらにこの人にも話を通しておいてください」と紹介される。そうやって、順番に説明して研究をするための環境を整えていきます。

大城:
かなり多層的な構造があるのですね。それだけでも大きな仕事ですね。

加賀谷:
そうなんです。さらに、現地で実際に調査の説明をする段階でも、研究の内容ってどうしても難しいことが多いので、それをどうやってわかりやすく伝えるかというのも重要な課題です。面白いことに、現地の方から思ってもみなかったような質問が出ることもあります。たとえば、僕たちは天井式蚊帳と呼ばれる媒介蚊対策法を使った研究をしているのですが、「たとえばこんな家の構造だったら、どうやって設置すればいいの?」という個別具体的な質問をされたこともあります。こちらとしては、ある程度「こういう家が多いだろう」と仮定していたのですが、実際には違う面も少なくありません。そういったフィードバックをもらって、設置方法を再検討したり、説明を工夫したりということもよくあります。やっぱり、現地に実際に行かないとわからないことって本当に多いと思います。

大城:
やはり現地に実際に行くというのは大切ですよね。貴重なお話ありがとうございます。そのような研究の面白さややりがいはどういったものがあると思いますか。

加賀谷:
面白さとしては、「フィールド」と「ラボ」を行き来する中で、仮説を作って検証するサイクルを作っていけることがあると思っています。僕のバックグラウンドには分子生物学があるので、分子疫学という観点で、フィールドで得たサンプルを使ってDNAやRNAの解析をすることもやっています。ただ、実験室と違ってフィールドにはコントロール群がないので、因果関係を直接には言えないという制約があります。統計学的因果推論などの手法も出てきてはいますが、基本的には「仮説を見つけに行く場」という感覚です。たとえば、ある地域に住んでいる人にマラリアが多いという相関関係は言えても、それだけでは何とでも言えるので因果関係は分かりません。だからこそ、統計学や疫学をもとにフィールドで得た仮説をラボに持ち帰って、遺伝子の機能等を調べるなどの検証をしてみる。そして、またフィールドに戻ってその仮説を確かめてみる。そうした循環を作っていくことが、研究の面白さでありやりがいでもあると思っています。

そして、一番面白いと思うのは、さっきも話に出ましたが、いろんな分野の人と一緒に仕事ができることです。最近では、人文系の研究者―特に文化人類学の先生方―とも連携して、「感染症の人間学」といったテーマの研究にも参画しています。コロナ以降、感染症がより社会的な問題として注目されるようになり、「人は感染症をどう捉えてきたのか」「人類にとって感染症とは何なのか」といった問いを、歴史学や哲学の視点も交えながら議論できるのは、とても刺激的です。

また、「外国に行ける」ということも大きいかもしれません。もちろん、現地のアフリカの方々との出会いもありますし、他の国の研究者と出会うことで、国とは何なのかといったことを考える機会があるのは面白いです。正直、僕自身はもともと海外によく行っていたタイプではなかったんですが、研究を通してさまざまな場所に行き、多様な価値観に触れられることは、本当に面白いなと今では感じています。実際、熱帯医学関係の先生方の中にも「旅行が好きだからこの道に入った」という方も多いと思います。

大城:
確かに色々な国に行けて、色々な人に会えるのは面白そうですね。先生がフィールド研究で行った国で特に印象的だったのはどこですか。

加賀谷:
バヌアツはかなり印象に残っていますね。フィールド研究というと、一般的には「荒れ地に行って泥まみれになる」ようなイメージがあるかもしれませんけど、ケニアの場合は意外と快適というか、正直ぬるいというか……。もちろん場所によりますけど、そんなに“冒険感”はないんですよ。でもバヌアツは違いました。本当に大変で、2時間ずっと歩き続けたり、湖じゃなくて海を渡る必要がある場面もあって。しかもその海が、本当に「船が沈むんじゃないか」と思うような状況で……いや、船というか、あれはもう“ボート”ですね(笑)。周囲には誰もいないし、波もすごくて、何度も「なんで自分はこんなことをやっているんだろう」って思いました。実際に、船酔いでみんな吐いてましたし。

大城:
先生は大丈夫でしたか?

加賀谷:
今ここにいますからね(笑)。でも、正直「これはやめた方がいいんじゃないか」と思うような瞬間もありました。ただ、そういう“本当の冒険”のような体験って、今ではあまりできなくなってきている気がします。昔の大学や研究って、そういう泥臭いこともたくさんやっていたんじゃないかなと想像します。でも今は、世界がどんどん均一化されてきて、そういう場所や経験が少なくなっている気がしますね。

フィールドでの採血調査
技術協力の一環として現地病院に設置した実験室を活用し、新規マラリア診断装置を検証する共同研究を展開

世界との重なりを増やしていくための研究活動

大城:
今後の夢や目標を教えてください。

加賀谷:
僕は論文を書くのが好きで、できるだけ良い論文をたくさん書いていきたいと思っています。論文って、自分の仕事の記録になるし、自分が亡くなった後も残るもの。つまり、「私はこういうことをしました」という証になるものだと思うんです。研究活動、論文を書くことを通じて、自分の存在する領域のようなものを広げていき、いろいろな人、もの、世界と重なりを増やしていくことを楽しみたいです。

大城:
研究の内容としては、介入研究などの疫学を続けていきたいですか。それとも基礎の研究をしたいとも思いますか。

加賀谷:
研究のスタイルとしては、実験室だけの研究よりも疫学やフィールドワークの方に惹かれます。実験室では、あらゆる条件をどうにか揃えたうえで検討をしようと試行錯誤する。一方でフィールドは初めから、揃っていない条件や不確実性を前提にしたうえで、それを解析等でどう克服するか検討する、というような側面があり、そちらの方が自分には合っている気がします。また、疫学に関しては、同じデータでも解析の方法次第で全く違う結果が出てくることが面白いと思います。最近ではベイズ統計や因果推論といったアプローチも一般的になりつつあり、そうした手法をどう活かすかを考えるのも楽しいですね。ただ、フィールド研究はやり直しが効かない分、設計、準備にはかなり神経を使うというラボとは違った難しさもあります。
また、自分がやりたいことをやるということも大切にしたいと思っています。社会的要請や実装といった視点が強調されることもあるものの、基本的に研究というのは、あなたがこれをしなさいという縛りのない、自由な活動だなということを年々強く感じています。だからこそ、そうした自由度を大切にして、あまりいろいろな縛り、枠組みを決めずに研究をしていきたいという気持ちはあります。ケニアで行ったクラスター・ランダム化比較試験(CRCT)は、フィールドに身を置いて、介入研究の実際を体感するという、その時やりたいと思ったことをやれた、とても幸運で充実した経験でした。自分の興味に従った経験だったからこそ、そこから、また次の自由な研究の疑問を持って、それに取り組む流れを作れているように思います。実際に自分で研究を始めるまでは、研究に対して、どこか「誰かのために」というようなイメージが先行していたのですが、実験室にフィールドに、いろいろな場で様々な研究者とご一緒するうちに、「自分が楽しむ」ことの価値、その重要性にも気づくようになりました。

大城:
確かに自分がやりたいからやるという気持ちも大事ですよね。研究対象としては、マラリアを中心に扱っていたと思いますが、先ほどマイセトーマの話が出たように、マラリア以外の疾患も扱っていきたいですか。

加賀谷:
扱っていきたいですね。今もマラリアは自分の核となるテーマですが、最近はマイセトーマという真菌感染症の研究にも関わるようになってきました。マラリアとは病態も時間軸も異なり、調査の方法や得られるデータの意味も変わってくる。そういう違いを見るのがとても面白いんです。真菌という分野も、実はまだまだ未開拓な部分が多くて、研究の余地が大きいと感じています。あまりテーマを広げすぎないようにとは思いつつも、比較する対象を持つことで見えてくることもあるので、今後も少しずつ他の病気にも関わっていきたいですね。

大城:
日本が熱帯医学に貢献する意義はなんだと思いますか。

加賀谷:
色々あると思うのですが、一つの意見として僕が大阪公立大学でご一緒していた城戸先生から聞いた話なのですが、「科学技術外交」という考え方があると思います。サイエンスを他の地域でやることは、他国との関係や平和を作るための外交の一つの手段としてあるという考えです。これはむしろ、日本のためにも必要なことだと思っています。今、日本の中では多くのことが飽和状態になっていて、これから国内だけでは立ち行かなくなる部分もある。だからこそ、海外とのネットワークを築いておくことが本当に重要になってくると思うんです。そういう意味で熱帯医学はアフリカや熱帯地域と関わる上での非常に良いツールになると思います。究極的には、個人個人がつながることが大事だと思っていて、そのきっかけとしてサイエンスを使うというのはすごい面白い話だと思っています。日本人が貢献するという言い方をすると、どうしても「こちらが持っているものを相手に与える」という印象になりますが、その実情はもっと相互互恵的なものなのかもしれません。

大城:
最後に学生部会の会員へのアドバイスをお願いします。

加賀谷:
色々なものを見ることが大事だと思います。知らないことってたくさんあると思うんですよ。それを知るのは楽しいですが、どこかで自分の専門を磨かないといけないです。そのバランスは難しいですが、学生の内から色々なものを見ているとそれが分かるようになってくると思います。だから、あんまり絞らずに何でも見てやろうという心が大事だと思います。

2025年長崎大学にて
左から、北村亜依香、安中悠眞、加賀谷渉先生、麻生有希子、大城健斗

対談者プロフィール

加賀谷 渉
長崎大学熱帯医学研究所生態疫学分野助教。東京医科歯科大学医学部卒業後、直接研究の道へと進み、同大学にて博士号を取得。天井式蚊帳を用いた介入研究などのマラリアの疫学研究に携わる。一児の父で週末は子育てに勤しむ。

大城 健斗
熊本大学医学部医学科5年。J-Trops(日本熱帯医学会学生部会)代表。コロナのパンデミックを経験し、感染症・国際保健に興味を持つ。趣味はランニング、旅行、読書。好きな本はマックス・ウェーバーの『職業としての政治』。