【学会員紹介#3】 浦田 秀造(長崎大学 高度感染症研究センター BSL-4人材育成部門/ウイルス制御研究ユニット/浦田ユニット 准教授)

父と師匠に憧れて研究の道へ

北村:
浦田先生は薬学部出身で、現在はウイルスの研究をされていらっしゃいますが、これまでのキャリアはどのようなものだったのでしょうか。

浦田:
私は、神奈川県にある桐蔭学園という私立の進学校に通っていたため、自然と大学進学を目指す流れがありました。幼い頃には織田裕二さん (桐蔭学園卒業)主演のドラマ『振り返れば奴がいる』を見て、医師になりたいと考えた時期もありました。とはいえ、高校生の頃には、医学部にこだわるというよりも、とにかく早く大学に入りたいという気持ちの方が強く、現役での合格にこだわって受験勉強に取り組んでいました。そんな中、北海道大学(北大)薬学部の推薦入試を受けたところ、偶然にも合格することができました。そうして、北大薬学部への進学が決まりました。今になって当時の高校の卒業アルバムを見返してみると、「がんの薬を作りたい」と書いていたので、おそらく薬の開発に携わるようなことをしたいという思いがあったのだと思います。ただし、当時は研究者になりたいという強い意志があったわけではありませんでした。大学では、全学のアメリカンフットボール部に4年間選手として所属していました (その後大学院在籍時に北大のコーチを2年兼任し、社会人チームにも所属していました)。当時、薬学部は4年制で、4年次に研究室へ配属されることになっていました。しかし、研究室に入ると部活動との両立が難しいことが分かり、4年生になるタイミングで1年間休学することにしました。11月の北日本王座決定戦で負けて引退となりました。それまで学生生活のすべてをアメフトにかけていたため、引退後は何もなくなってしまったような虚無感に襲われました。ただ、大学には戻らなければならないと思い直し、翌年4月に復学して研究室に配属されました。研究を始めるにあたって、最初に所属したのは感染症関連の研究室ではなく、アルツハイマー病を研究している研究室でした。研究内容というよりは、研究室の雰囲気が良かったという理由で選んだのですが、実際に研究を始めてみると、とても面白く感じました。

北村:
最初はウイルスではなく、アルツハイマー病の研究をされていたのですね!ウイルス研究の道にはどのようなきっかけで進まれたのですか。

浦田:
理系の学部では、4年生の多くがそのまま大学院に進学し、同じ研究室で研究を続けるケースが一般的です。しかし、私は4年生になって初めて、自分の将来について真剣に考えるようになりました。研究自体は楽しかったのですが、このまま同じテーマで研究を続けて良いのだろうかと疑問に感じたのです。その時、就職という選択肢と大学院に進学するという選択肢がありました。製薬会社に就職するか、研究者になるかを考えた際、経済学の研究者であった父の姿を幼い頃から見ていたため、研究者という職業に対する漠然とした憧れがあり、最終的に研究者を目指すことにしました。研究をするなら、本気で取り組みたいと思っていました。では、何を本気で研究するのか。そう考えたとき、アルツハイマー病の研究は確かに興味深く感じましたが、その分野は非常に複雑で、将来的に行き詰まるのではないかという不安もありました。そこで、方向転換をしようと考えました。尽きることのない研究テーマは何かと考えたときに思い浮かんだのが、感染症でした。感染症の研究を志して大学院に進学しようと決めましたが、薬学部には感染症に特化した研究室がなく、医学研究科にそうした分野がありました。そこで、医学研究科の修士課程に進学し、ヒト免疫不全ウイルス1型 (HIV-1)の研究を始めることになりました。

実験中の浦田先生

北村:
ウイルス研究はHIV-1から始められたのですね。その後もウイルスの研究をなさっていたのですか。

浦田:
北大医学研究科の修士課程時に在籍した研究室で、当時助教授だった安田二朗先生と出会いました。その後、安田先生は私の師匠となる存在になりました。現在、安田先生は長崎大学の高度感染症研究センターの副センター長/新興ウイルス研究分野教授を務めておられ、同時に熱帯医学研究所新興感染症学分野の教授でもあります。HIV-1研究を始めて間もなく、安田先生が警察庁科学警察研究所へ異動されることになりました。当時は、炭疽菌バイオテロなどが大きなニュースとなっており、それをきっかけに「バイオテロ」が日本でも重要なキーワードとして取り上げられるようになりました。国としてもバイオテロ対策に本腰を入れる必要があると判断され、警察庁内に新たな研究室を設置することが決まり、その室長に安田先生が着任されました。私は、安田先生の研究スタイルに強く憧れていました。非常に頭の切れる方で、そうと言っても研究室にずっといるわけではない。 「研究室でやることがないのならさっさと帰る」という先生で、効率よく研究を進められる姿勢が印象的でした。それまでの私にとって、研究者というのは研究室にずっといるというイメージがあり、少し抵抗も感じていました。しかし、安田先生のスタイルは理想的と感じ、この研究/生活スタイルを学びたいと思って、先生のもとで学び続けることを決意しました。北大に所属しながら、千葉県にある科学警察研究所で博士課程の学生として3年間、研究に取り組むことになりました。この頃から、HIV-1の研究からより高い病原性を持つウイルスの研究へと移行していきました。当時、日本国内でこのような研究に本格的に取り組んでいる研究者はほとんどいませんでした。私は安田先生の指導の下で3年間研究に没頭して論文が出せないようだったら研究者は辞める覚悟で必死に頑張りました。幸いにも、3年間で筆頭著者として4報論文を発表するという良い成果を挙げることができました。その後は、アメリカで仕事したいと思うようになって、アメリカで就職先を探して、スクリプス研究所に行き3年間研究をしました。

北村:
アメリカで研究の仕事を行うというのは大きな決断ですね!

浦田:
博士課程に進む際には、将来的には必ずアメリカに行きたいという強い思いがありました。ウイルス研究をするなら、やはりその分野で最先端を走るアメリカで取り組みたいと考えており、もしアメリカに行けないようであれば、研究の道は諦めようと思っていたほどです。そこで、一つのキーワードとなったのが「アレナウイルス」でした。アレナウイルスにはラッサウイルスなどが含まれます。この分野の第一人者とされる研究者のもとでの就職が決まり、アメリカのスクリプス研究所で研究を行うことになりました。スクリプス研究所は、非常に研究が活発な研究所で、これまでに多数のノーベル賞受賞者を輩出しています。周辺にも利根川進博士が在籍したソーク研究所、カリフォルニア大学サンディエゴ校、バーナム研究所が隣接しており、石坂公成博士が設立に携わったラホヤアレルギー免疫研究所も傍にありました。そのような刺激的な環境で研究できたことは非常に貴重な経験でした。当初は、アメリカに永住するつもりでいたのですが、実際に現地で過ごす中で、競争の激しい世界で生き残っていくことの厳しさも痛感するようになりました。ちょうどその頃、安田先生が長崎大学の熱帯医学研究所の教授に就任され、「助教として戻ってこないか」と声をかけていただきました。それがとても良いタイミングだったこともあり、帰国を決意しました。今は長崎大学の高度感染症研究センターの独立准教授として、研究室を主催しています。

2011年、アメリカ留学時。スクリプス研究所の実験台の前で

高病原性のウイルス 安全性の鍵は正しい知識と適切な操作 

北村:
現在のお仕事について教えてください。

浦田:
私がメインで所属しているのは、BSL-4*人材育成部門です。また、兼任として研究部門にも所属し研究ももちろん行っています。BSL-4人材育成部門は本学高度感染症研究センター特有の部門で、BSL-4施設 において病原体を安全に扱うことができる人材を育成する部門です。なぜこの仕事をしているのかというと、私は長崎大学に来てから、南アフリカ共和国と米国の2か所のBSL-4施設でトレーニングを受けてきました。この経験を活かし、そのノウハウを長崎大学に還元し、教える立場になっています。本学のBSL-4施設は日本初の宇宙服のような特殊な陽圧防護服を着て作業をする教育・研究目的の実験施設で、日々、高度感染症研究センターの教職員に向けて、陽圧防護服の操作方法、陽圧防護服着用下での実験方法などを教えています。

*BSL-4:バイオセーフティーレベル-4の略。病原体を封じ込めるための施設の安全管理の中でも最高水準の安全性を指す。BSL-4実験室内では、エボラウイルスやラッサウイルスなどの高い病原性を持つウイルスを安全に取り扱うことができる。

北村:
浦田先生自身が高病原性ウイルスを実験で用いるにあたってどのようなことに気をつけているのでしょうか。

浦田:
どのような実験であっても、ウイルスを扱う際は必ず安全キャビネットの中で行います。ウイルスは、感染すると病気を引き起こすこともあります。しかし、感染しないように正しく対処すれば、それほど恐れる必要はありません。その性質をしっかりと理解し、安全キャビネットの中で適切に扱えば、感染することは絶対にありません。重要なのは、正しい知識を持つこと、過剰に怖がらないこと、そして実験中は常に落ち着いて丁寧に作業することです。

2016年、南アフリカ共和国BSL-4施設での陽圧防護服着用時の浦田先生

夢はアレナウイルス研究で世界一

北村:
現在のお仕事の面白さややりがいについて教えてください。

浦田:
面白さはやはり新しいことを知ることが出来る点です。そして、アレナウイルスについては研究している人も多くはなく、まだ分からないことや知らないことは山ほどあります。どういう人たちがどういう研究しているのかという全体的な動きも分かっていますし、その上で新しい発見をすることは楽しいです。元々それほど勉強が好きではなかったのですが、論文を読んで何が分かっていないかを学んだうえで自分なりに仮説を立て、実験で検証し、時に予想通りの結果が出てまだ誰も知らないことを一番に知れることを味わうと、言わずと知れた興奮を覚えます。アレナウイルスの全てを知るというのが最終的な目標です。

北村:
「アレナウイルスを知り尽くす」というのが今後の先生の目標なのですね!

浦田:
夢としては、アレナウイルス研究で世界一になりたいです。 世界一とは何だと言われたら、これという定義はないですが、教科書に引用されるような論文を発表し、自分がアレナウイルスについて一番知っており、一番ウイルス学の発展に貢献したという自信を持てるような仕事を成し遂げたいです。しかし、それは1人ではできないというのもよくわかっているので、今、学生や研究生を育てて、そのような人たちと一緒に夢に向かって研究して、その楽しさをみんなで味わっていきたいです。世界一に向けて頑張りたいです。

北村:
日本が熱帯医学に貢献する意義は何だと思いますか。

浦田:
熱帯医学って別に括らなくてもいいのではないでしょうか。「熱帯」という括りを作ることで敢えて小さなコミュニティを作り上げて特別感を出している気がします。地球温暖化の結果、熱帯医学という言葉の意味や定義が変わってくるのでしょうか。言葉自体なくなるかもしれませんね。あまり熱帯医学という言葉にこだわらず、医学・感染症学の一つとして考え、この分野に貢献できる人が貢献すればいいのではないかと考えます。特に日本が何かしなければいけない、という考えもありません。大きい括りで考えて、広い視点で捉えたらいいかなと思います。 

北村:
熱帯医学学生部会の学生に向けてアドバイスをお願いします!

浦田:
ウイルスの研究をしましょう!研究は楽しいものですが、そう思えるようになるまでに苦労はたくさんあります。辿り着いても苦労は続きますが、一度味わうと中々辞められない興奮が待っています。学生のうちは自分が好きなことをやって、その延長線上に研究があればと思います。

2025年長崎大学にて。
左から、安中悠眞、大城健斗、浦田秀造先生、北村亜依香、近藤裕哉

対談者プロフィール

浦田 秀造
長崎大学 高度感染症研究センター BSL-4人材育成部門/ウイルス制御研究分野 准教授。北海道大学薬学部卒業後、同大学にて修士、博士号を取得。科学警察研究所、米国スクリプス研究所で高病原性ウイルスの研究に携わる。専門はアレナウイルス。趣味は、スポーツ観戦、音楽・映画鑑賞、コーヒー、料理、お笑い、読書。

北村 亜依香
2025年3月、鳥取大学医学部生命科学科卒業。長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科修士1年(2025年10月〜)基礎研究の面から顧みれない熱帯病(NTDs)の対策に貢献したい。フィールドに赴き、現地のニーズを見据えた研究を行いたい。興味があるのは、住血吸虫、基礎研究、疫学研究、免疫学。好きなことは海外旅行。