【学会員紹介#1】 トーマ クラウディア(琉球大学医学研究科細菌学講座准教授)

コレラのパンデミックを目の当たりにして

天願:
トーマ先生はブエノスアイレス大学を卒業されてアルゼンチンから沖縄にいらっしゃっていますが、現在のお仕事にいたったきっかけや経緯を教えてください。

トーマ:
私は元々両親が沖縄県出身なので、日系2世のアルゼンチン人です。両親は戦後南米に移住したので、私は向こうで生まれ育ってブエノスアイレス大学で生化学を学びました 。暗記するというよりは未知なものに向かっていきたいという思いがあったので、医学部ではなくて生化学部に入学しました。生化学部は医学寄りのことも学ぶ学部だったので、6年生の時には感染症や今の研究につながる、細菌学や免疫学を勉強しました。私が勉強していた学部では、大学卒業時に臨床検査技師の資格が貰えましたが、毎日同じことをしたりするのは向いてないと思っていました。そうこうしているうちに大学を卒業して、卒業旅行で友達と南米のチリにいた時に、南米大陸でコレラが流行しました。1992年ぐらいですかね。その当時、コレラは南米に無かったうえに卒業したばかりだったので「まずコレラって何。」という感じで。とにかく大流行しました。私達はチリからペルーに渡る旅行を計画していましたが、コレラの流行はそのペルーで始まりました。もう習いましたか。

天願:
いいえ、知りませんでした。

トーマ:
90年代にコレラが南米で大流行して死者が多く出たのは、その当時南米はコレラという感染症に対してあまり知識がなかったためです。どうすれば良いのか分からず、パニックになっていました。その時に、感染症ってこういう風に広がっていくんだということを目の当たりにしたことで、段々と感染症を予防したいという気持ちになりました。今ではそれが難しいことも分かっているのですが、あの頃は「ワクチンを開発したい」と気軽に言っていました。最近のRNAワクチンはすぐにできましたが、あの当時は50年かかってもワクチンを開発することは難しいことでした。ワクチンを開発するには基礎研究をしっかりやらないといけないということもあり、だんだん研究への気持ちが大きくなって、県費留学生として9カ月間沖縄に来ました。日本は腸炎ビブリオとかコレラ菌の研究が進んでいたので、ビブリオコレラの勉強をしました。琉球大学の岩永正明先生って聞いたことがありますか。

天願:
いえ、細菌学の先生ですか。

トーマ:
この琉球大学細菌学講座の初代教授で、琉球大学の熱帯医学研究会を設立した先生です。山城先生の大先生でもあるんですね。私も琉球大学で岩永先生の元でコレラの勉強をして、博士課程を修了しました。なので私は琉球大学の細菌学講座で博士課程を修了し、助手になって今准教授。この研究室にほぼ30年います。
9カ月間県費留学生として沖縄に来た後、一度アルゼンチンに戻ったんですね。その時にアルゼンチンの国立微生物研究所という所に入りました。そこでは、沖縄で9カ月間勉強しただけでもコレラの専門家のように扱われました。当時のアルゼンチンでは90年代のコレラの大流行まで、コレラの感染が見られなかったので、誰も培養もできないし、毒素も検出できないという状態でした。でもそれではワクチンは作れない、作るためにはもっと勉強しないといけない、そういう気持ちでここまでやってきました。若い時にひとつの出来事が大きく人生を変えることってありますよね。私にとっては、たまたま卒業した時にコレラが大流行したという出来事でした。それがなければ、もしかしたらそこまで色々なモチベーションは上がらなかったのかなと思います。

内田:
もしその大流行が起きてなかったら、どういう人生を送っていたと思いますか。

トーマ:
病気を治療するか予防するかどちらかを選択するなら、予防したいとずっと思っていました。その中でコレラの大流行がなかったとしたら、免疫学を選んでいたと思います。もっともっと勉強して、予防に関する研究をしたいという気持ちがあったので、免疫学者になっていたかもしれません。
自分の大きな夢を具体化していくのは、人との出会いだと思います。大きな夢があっても、その中で何を具体的にやりたいかを決めるのは若い時は難しいですよね。卒業して色んなところに行って色々な経験をしたら、これだこれだってなると思うんです。私の場合は、その大きな夢が段々段々具体化されて狭くなって、分子の世界に入っていきました。

2005年ラオスにて、多剤耐性コレラ菌の耐性機序の研究をされていた時のお写真

自分にできることをコツコツと

天願:
今琉球大学ではどのようなお仕事をされていますか。また、その研究テーマに興味をもった経緯を教えてください。

トーマ:
私は博士課程が終わってからコレラの研究をしていましたが、17年ぐらい前からレプトスピラの研究をしています。
琉球大学で研究生をしている時に、日本の大学で仕事をしているので、次第に日本国内で問題となっている感染症に取り組みたいと考えるようになりました。O157の話を聞いたことがありますか?その時に、堺市で約1万人規模の大流行があって死者もでました。世界で一番大きい大腸菌O157の大流行でした。その時に私も「腸管出血性大腸菌の研究をやりたい」という気持ちになったんですよ。

内田:
O157の研究ではないんですね。

トーマ:
未知の世界があるから、その方向に向かいたいという気持ちもあったんですが、段々大人になってくると自分に何ができて何ができないかっていう現実が見えてきますよね。だからO157の大流行時には、そちらに世界的な関心が集まっていたので、私はあえてO157じゃない大腸菌の研究に取り組みました。その後、沖縄で研究を続ける中で、より地域に根ざした課題としてレプトスピラ症に関心を持つようになりました。この感染症は全国の症例の半数以上が沖縄で発生していて、診断法や病原因子の解明が不十分でした。また、研究者がほとんどいない分野だったこともあって、レプトスピラをやってみようということになり17年が経ちました。
私は研究のスピードがものすごくゆっくりなんです。まず仕事と家庭の両立を大事にしていて、3人の子供を育てながら研究をしてきました。大腸菌とかコレラ菌は菌がものすごく速く増えるので、研究スピードが速くないと追いついていけないんですが、レプトスピラは培養が1〜2週間でちょっとのんびりしながら研究が進められます。子供が熱を出した時にちょっと置いていても菌は死にません。レプトスピラが私の生活スタイルに合っていて、かつ分からないことがいっぱいあったので、色々なテーマを研究材料とすることができました。

天願:
私はずっと沖縄に住んでいて、北部の川などで遊んだことがあるのですが、レプトスピラを最近まで知りませんでした。

トーマ:
川で遊んでその後に、ちょっと熱がでてもレプトスピラ症は疑わないかもしれないです。元気な人なら症状は軽症なので。

天願:
今はどのように診断しますか。

トーマ:
血液や尿での診断方法もありますが、すぐに診断がつかないこともあります。なので、問診が大事です。ちょっと熱が出ただけでは病院にいかないですよね。しばらく様子を見ると思います。よっぽど3日、4日高熱だと病院に行くかもしれませんが、熱が下がればそのままにすると思います。後々考えれば、その症状はレプトスピラが原因だったかもしれません。

内田:
重症になることもありますか。

トーマ:
レプトスピラ症は高齢などが原因で熱が下がらず、腎不全になったり、全身に菌がまわって急変することもあります。
レプトスピラは、レプトスピラを保有している動物の尿で汚染された川に入ったり、水を飲むことで感染します。皮膚からも感染するんです。色々レプトスピラの研究をしてきましたが、現在、どういう風にレプトスピラが人の皮膚の細胞と細胞を開けて通り、侵入するのかという研究を行っています。

2016年10月沖縄北部にて、レプトスピラがいないかを調査している時のお写真

天願:
日本が熱帯医学に貢献する意味はなんだと思いますか。

トーマ:
私は日本人じゃないから分からないのですが..。私の立場から何故自分が感染症に興味を持ったかまとめると、やっぱり実際に旅行した時にコレラを目の当たりにして、何千人もその病気にかかって死者がでているのを見たからだと思います。この間のコロナみたいにパニックになったわけですよね。
日本が熱帯医学に関わるのは、一つは長い間、日本は先進国でJICAや色々なプロジェクトを通して「他国と協力する」というシステムがあったからだと思います。
あともう一つは、間違っていたら教えてください。日本は島国なので、留学など海外での経験をして、自分の視野を広げたいという気持ちがありますか。

内田:
あるかもしれません。

トーマ:
学生を見ていても、そういう風に感じます。私は南米大陸で生まれたので、常に「海外」が広がっていました。なんというか自分の同級生にもスペイン出身とかヨーロッパ出身とかいろんな国の人がいて、異文化そのものが自分の日常の中にありました。でも日本人は異文化や色んなものに対して純粋ですよね。だから自分たちの国にはあまりない病気を知るという意味でも色々視野を広げようという思いがあるのかなと思います。
日本で得られない経験や人との出会い、熱帯地域に行くという経験は、勉強はもちろん、自分とは違う人種や色々な考え方と触れ合うことができるすごく大事な経験だと思います。そうした経験をして日本に戻ってくると全然考え方などが違いますよね。逆に、なぜ熱帯医学に興味を持っているのでしょうか。

内田:
私は寄生虫と原虫に興味があります。生活環の中で環境が色々変わりますよね。その仕組みや”どうしてそういう風に進化していったのか”であったり、”環境が変わったときにどう
変化を感知するか”などに興味があってJ-Trops*に入りました。
*J-Trops:日本熱帯医学会学生部会 

トーマ:
そういう理由もありますよね。自分の興味があるものの現場が日本にはないから、どうしても外にでていかないといけないという理由ですね。天願さんは。

天願:
私は先生が先程おっしゃていたように最初に海外に興味があって、本を読んだり情報を集めているうちに他の地域で流行している感染症があることを知り、熱帯医学や感染症に興味を持った気がします。

トーマ:
この世代はコロナを経験しているのでちょっと違うと思いますが、日本で日常を生活していると、感染症がどれだけ人間の生き方や社会を変える力があるのか分からないですよね。コロナのパンデミック前であれば、感染症があまりない日本での生活を当たり前に感じていたかもしれません。でも一歩日本の外に出ると何百人、何千人という感染者がいますよね。

次の世代に繋いでいく

天願:
今後の目標や夢、やりたいことを教えてください。

トーマ:
今の日本の若い世代は、夢を持っていない子たち、何をしたいのかまだ分からないという子たちが多いように感じます。だからお二人のような、若い世代に自分の経験を伝えて、夢をもって行動できるようになってもらいたいです。
自分の個人的な夢は、研究だけでいいますとレプトスピラ症の感染機序を解明することです。でも自分の研究人生の残り時間はそこまで長くないので、自分ができることはやっぱり限られていると思います。だから人材育成をして、できるだけ多くの方々をこの研究室に迎えて、自分がやりたいことのバトンタッチをそろそろ考えています。今まで研究で培ってきた技術を獲得するのに、凄く苦労をして時間もかかりました。だからそれをやっぱり次の世代に伝えたいですね。私の目標は私の世代だけではなく、何世代もかかるものだと思います。まあでも研究ってそういうものですよね。だから自分の研究の結果を残しつつ、人材育成もしたいです。あとは自分の領域だけじゃなくて、皆さんが広く感染症や熱帯医学に興味を持てたら良いなと思います。

2004年2月ベトナムにて、共同研究時のお写真。前列、左から2番目がトーマ先生

内田:
熱帯医学に興味のある学生に何かアドバイスがあれば教えてください。

トーマ:
私はアドバイスできる立場にないかもしれないんですが、まずは現地に行ってみてほしいです。今はインターネットなどで色んな情報がすぐに手に入る時代ではあるんですが、やっぱり実際に現地に行って、可能であれば長く滞在してみてほしいです。2、3日で見る世界と数週間かけて見る世界は違うので。学生だと色々カリキュラムがあるから難しいとは思うんですが、やっぱり現地に行けば、漠然とした夢や目標が「これだ」って段々なってくると思います。現地に行ったら色んな人と出会って、色んなものがまた自分の中で更に出てくると思うので、それをどんどん行動に移していくことが大事かなと思います。

2025年琉球大学細菌学講座にて。
左からトーマ・クラウディア先生、天願由依菜、内田実佑、山城哲先生、許駿先生

対談者プロフィール

トーマ クラウディア
琉球大学医学研究科細菌学講座准教授。アルゼンチン出身。スペイン語、日本語、英語に堪能。1992年、ブエノスアイレス大学薬学生化学部卒業。大学卒業時にコレラの大流行を経験したことで、研究の道に進む。1993年、アルゼンチン国立微生物研究所研究員。1994-現在、琉球大学医学部細菌学講座にて、コレラやレプトスピラの研究に携わる。

天願 由依菜
島根大学医学部医学科3年。沖縄県出身。小学生の時に読んだ小説がきっかけで、感染症に興味をもつ。将来は臨床医としてグローカルに活躍することを目指す。趣味は旅行と水泳。大学では地域医療研究会、合気道部、国際交流サークルに所属。座右の銘は「気になったらレスポンス」。

内田 実佑
長崎大学医学部医学科2年。静岡県出身。2022年、東北大学農学部へ入学。在学中に興味分野が医学へ変わり、学部2年次に中途退学後、2024年、長崎大学医学部へ入学。興味分野は「顧みられない熱帯病(NTDs)」「人獣共通感染症」「生態系」「基礎研究」。