1959年10月10日大阪にて熱帯医学研究会 として発足した。 (詳細は「熱帯医学研究会の発足と経過」 「熱帯医学研究会報」第1巻1号掲載をご覧下さい。)
1960年9月鹿児島で開かれた第2回熱帯医学研究総会において、熱帯医学研究会を日本熱帯医学会と改称して日本医学会に加入を申請することになった。
1959-1972年まで東京大学医科学研究所内に設置されていた事務局が1973年長崎大学熱帯医学研究所に移された。
1973年より学会機関誌の誌名を「熱帯」より「日本熱帯医学会雑誌」と改めた。
1975年、64分科会として日本医学会への加入が認められた。
1996年、第14回世界熱帯医学・マラリア学会を長崎で開催した。
2004年より学会機関誌の誌名を「Tropical Medicine and Health」と改めた。
2010年、沖縄で第50回年次大会を記念した。
2016年1月、学会誌の出版をBioMed Centralに変更した。
2017年1月、一般社団法人 日本熱帯医学会を設立した。
2019年、沖縄で第60回年次大会を記念した。
大阪大学名誉教授 森下薫
近来熱帯各国との交渉がとみに活発化し、学術・技術の交流や移民事業がいよいよ盛となるに伴い、それらの背景をなすものとして熱帯医学の重要性が急速に認識されてきた。然るに熱帯医学とは熱帯環境において発生する疫病ならびに生理、衛生上の諸問題について攻究する学問であると解するならば、我が国内にも多くの課題がある。したがって熱帯医学は我が国医学の一部門として、実際上の必要性からのみでなく、学問的にも当然存在すべき理由がある。
かかる見地から、既にその研究の必要を認め、これに手を染める人たちが漸次見られるに至ったが、その強力な推進には全国的な組織をつくる必要があるので、本年4月第15回日本医学会総会が東京で開催された機会に、有志が集まり「熱帯医学に関する懇親会」をもち、その実現について種々論議の結果、
などを申し合わせ、会則を審議して一応形をつくり、正式発足までの世話人として、佐々学、沢井芳男(以上伝研)、田多井吉之助(公衆衛生院)の諸氏を煩わせることとし、事務所を伝研内に置き、一般事務については椎尾辨章氏(伝研事務)の助力を得ることを決定快諾を得た。
この会合の後直ちに発起人の依頼状を関係各方面に発送したが、第1回総会までにすでに約160名(1部会員として)の承諾を得た。
7月の予定であった第1回総会は種々なる事情で10月となり、同月14日大阪において開催されることとなったので、その前日集合し得る範囲で発起人会を催し、
人事として、
などを決定した。また先にできていた会則(案)を再検討して、若干の訂正を加えた(別項)。更に次回開催地を従来この問題に非常な熱意を示して居られる鹿児島県とし、会長に鹿大医学部長佐藤八郎博士を推すこととなった。
以上の諸項は本日の第1回総会においてこれを諮り、承認を得たいと思う。
これで本会も正式に形づくられ、今後の発展を期して第一歩を踏み出すこととなった。諸彦の絶大な支援をお願いする次第である。
「日本熱帯医学研究会報」第1巻1号より抜粋 昭和35年4月20日刊行
1959 - 1970 | 曽田 長宗 |
1971 - 1972 | 沢井 芳男 |
1973 - 1982 | 片峰 大助 |
1983 - 1987 | 内藤 達郎 |
1988 - 1993 | 松本 慶蔵 |
1994 - 1996 | 竹田 美文 |
1997 - 1999 | 多田 功 |
2000 - 2002 | 五十嵐 章 |
2003 - 2008 | 竹内 勤 |
2009 - 2011 | 狩野 繁之 |
2012 - 2014 | 門司 和彦 |
2015 - 2016 | 狩野 繁之 |
2017 - 2020 | 狩野 繁之 |
2021 - 2022 | 金子 修 |
2023 - | 山城 哲 |